言祝ぐ【新本】
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中村梨々詩集
イノチへの賛歌
機知に富む短詩の名手である。冒頭の詩「雨上がり」からして、なんだか可笑しい。「玄関あいとる」と奥にいる家人に声をかけたところ、「血管浮いとる」と聞こえたなんて。そして、それを詩のモチーフにしてしまうなんて。(井坂洋子栞より)
【作品紹介】
冠水
穏やかな晴れの日、ビデオでバイクが走るのを見ている
『木陰に光るとかげの口元は迷わない』
それが合図
黒い影がわさわさと遡上
子どもたちはジェラートになって
いつの時も空から降りてくる
雨は友達だね
穀物の声が歌う
風鈴を持って、誰か来たのと母が出てくる
時間をかけて見つめ合ったような埃が鏡台に積もり
格子柄のカーテンが揺れている
窓枠の隅にとかげの足が細く七色になびいた
どこへ行くの
百日紅 むきだしの幹に
昼の月が掛かる
見てるだけじゃぁ
いつの間にか届かなくなってしまう
口に含んだままの意味
記憶の木陰で涼やかな通り道になる
きしむ樹皮
ないものがくるぶしにあたってよろける
出したほうは逃げる
後ろは遠い山々に囲まれ青く澄んで
こんこんと水がおぼれてゆく
来ないから行ってみる
背中から清流をひたひた流しながら出ていく
こぶた記
それは最初耳に聞こえず カーテンがかすれて吠えた
黒くてぶ厚い布の裏側は
大量の深紅に大人が埋まっていた
小声を飛ばそうとして高く投げると
布がべろになってくり返し迫ってきた
それどころじゃない
目と目がちょっとちくちくする
ちいさなこぶたはそのたびに身をかわした
一番上の兄さんのわらでできた家 二番目の兄さんの木の家も おおかみに吹き
飛ばされてしまった ふたりはぼくの家に来て 木杓子でおっきな鍋を混ぜてい
る 畑でできたじゃがいもと人参と葉っぱのスープ 湯気のなかで怖さはふやけ
るどころか どんどん煮詰まってくる感じ おおかみのひと吹きにいつこのレン
ガの家も吹き飛んでしまうかと心配して さっきから何もしゃべらないことに
なっている 大丈夫だよ この家は時間をかけて積んだレンガだからね おおか
みの息なんかにびくともしない 練習一回目で壊れた段ボールの煙突は張り直さ
れていた
それにしても おおかみのふぅふぅが止まらない 二回くらいでびくともしない
とあきらめて、煙突へと向かうはずなのに
窓からのぞくとおおかみは 見られていると気づきもしないで 腰を手に 上半
身を上向けにしたあと 一気に前に倒れ込んだ
何度も何度も何度も、だ
ぼくが思っていたより必死に おおかみは息を吹き出していた
弓のようにからだを反らすとしっぽが風になってなびいた
そのきれいなしっぽを見ているうちに、だんだん腹が立ってきた
扉をあけ 肩で息をしているおおかみへと前進
じぶんの丸い肩をできるだけ広げて立ちはだかった
おおかみは一瞬きょとんとしたが、気を取り直して息を吸う
まだやる気だ
ぼくはおおかみに飛び掛かった
兄さんたちが驚きと恐怖であえぐ
母さんの「やめんちゃい」が紅のべろを動かす
著者 中村梨々
発行所 七月堂
発行日 2024年7月24日
四六判 104ページ
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