評論・哲学

  • ¥ 4,400
  • 西田幾多郎と瀧澤克己の交流の真実から日本思想史に迫る 西田幾多郎と瀧澤克己の交流は、昭和8年から20年までの12年間。西田は京大退職後の晩年、瀧澤は20代半ばから30代半ばの壮年期の頃となる。二人の間には62通ほどの書簡が残されているが、全て西田から瀧澤宛てのものである。西田は来簡を保存する習慣をもたなかったからだ。 書簡の全体は学問上の子弟関係の上に成り立ち、生活の多岐にわたる話題で綴られている。戦争の拡大、破局へと向かう中で右翼からあびた非難への言及や疎開などの話題から、敗戦後の思想界への思いを若き研究者に託す文面になる。 500頁にわたる第一巻の第一部「書簡にみる交流」は全書簡の公開と分析。第二部はテキストにみる交流、第三部は宗教論にみる交流、第四部は交流の真実へと迫ってゆく。 特に宗教論における「西田と仏教」、「瀧澤とキリスト教」という視点の展開は圧巻である。 著者 前田保 発行所 七月堂 発行日 2018年9月9日 四六判 489ページ

  • ¥ 1,980
  • 「三島の死」を通して社会と言葉の本質へ切り込んでゆく。 「三島の死」はその後の社会思想を変えてゆくきっかけをつくった。 多くの人々は彼の死をさまざまに語る。 歪曲され、同調され、利用された。 三島のその言葉は本当に精査されたのだろうか。 秋元潔の粘り強い視線が三島の深層へと切り込んでゆく。 著者 秋元潔 発行所 七月堂 発行日 2019年10月25日 四六判

  • ¥ 2,200
  • 呪縛(にちじょう)からの解放 舞踏から詩へ、文学から映画へ。 畏怖という古代的感情にふさわしい芸術はどこにあるか。 サッフォー、ブルトン、アドニス、シオラン。 世界の彼方へと向かう芸術批評論集。 この一〇年ほどに書いた文章のなかから、海外の文学者と芸術家について書いたものを集めて、一冊に纏めてみた。(略) 「神聖なる怪物」というのは一九世紀の終わりごろ、フランスかイタリアで考案された言葉である。正確なところはわからない。それは世間的な美貌や幸運に恵まれ、一世を風靡している才子を意味しているわけではない。頑固にして妥協を許さず、存在自体があまりに魁偉にして畏怖すべき芸術家を指していう言葉である。(「あとがき」より抜粋) 著者 四方田犬彦 発行所 七月堂 発行日 2018年6月25日 四六判 315ページ

  • ¥ 1,760
  • 野村喜和夫を究める 1987年の第一詩集『川萎え』から2016年『よろこべ 午後も 脳だ』まで野村喜和夫の作品を詳細に読み解く。 また野村喜和夫本人の監修による「全詩集解題」「略年譜」も収録。野村喜和夫研究の先駆けとなる一冊である。 野村喜和夫の詩を読むことは、楽しい体験である。私にとって、野村の詩を読むことは、良質な音楽を聞くのに似ている。良い音楽を聞くとき、私たちは、音楽を聞くという行為そのものを味わっている。音楽を聞いて、何かを考えたり、何かを感じたりするのではなく、音楽を聞くという行為そのもの、聞くことそのものに私たちは没頭している。同様に、野村の詩を読むことは、読むことをそのものが快楽であり、快感である。読めば意味は取れるし、感じるところもあるが、読むという行為そのもの、字を目で追うという行為そのものが快楽であり、快感である。なぜだろう。私は他の詩人にはこのような読むことそのものの快楽や快感を感じることはない。なぜ、野村の詩に私はそれを感じるのだろうか。(「序」より) 著者 杉中昌樹 詩論集 2017/07/01発行 発行所 七月堂 A5 並製 本文232ページ