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吉川彩子詩集
世界に満ちるすべての音も光も/
被子植物のようにしずかに実るのだろう
夜の縁をなぞって吹き抜けるやわらかな風に似て
繊細で静かな詩の言葉が
今ここにいる〈わたし〉の内深く埋もれているいくつもの時間に触れ
ひそやかな別れの記憶にみずみずしい痛みの光を瞬かせる
その先を ここから生きていけるように
川口晴美
【作品紹介】
朝
いつのまにか三人称で話している
ここにはわたしとあなたしかいないのに
伏線を回収するたびに
言葉が行き違いつづけて まるで失望の落雷
別れは惜しまない
欺瞞として過去は眠っていて
確かに受け取りましたと
すんなり送ってくれない
青みどり色のオーラみたいなこだまは橋の下をくぐって
凍りついた空気の中を響きながら
どこか知らない土地へ
しじまの中へと帰っていく
ゆっくりと前を見る
かんたんな結論より前を見るほうが難しい
悲しみにみせかけた暗がりに
強く風が吹く
満ちる前に欠けて
ひとすじの光が飛ぶ
あなたの背中が燃えている
抱いた背中がしっとりとあまりの重さにたじろぐ
ほんとうに好きだったのはこの人だった
もうだれもいない朝
ゴミを出しにいく
つっかけたサンダルがパタパタと鳴って
空には名残りの月
世界に満ちるすべての音も光も
被子植物のようにしずかに実るのだろう
帰り道
いつも帰り道だった
測れない天気予報と空の距離
投函した欠席連絡ハガキも
図書館に返却した芥川賞の単行本も
改札でかざした残高不足のICカードも
キャリーオーバーにつられて買ったロト6も
暗号のようにうつくしい
カフェの不在のテーブルに飲み残しの紅茶
だれかと別れて振り返らない
いつも帰り道だった
風邪でも花粉でもなく涙が出る
自転車はすぐにキックボードに追い越された
まだ恋は改行していない
雪がちらつき始める
浅く眠る街並みはどこまでも点描画みたいだ
前髪を直そうと
バッグから鏡を取り出し映ったもの
角度が変わればそこは崖 そこはぬかるみ
降りつもるような
夜の合図は
大気をしずかな眠りにつかせ
だれかの傷や痛みを消そうとする
わたしはまだあなたと出会っていない
いつも帰り道だった
自販機からジュースを取り出して
放電してしまった空のゆくえ
粉々になった飛行機雲が舗道に落ちている
月は太陽とみせかけて翻弄する
コンタクトレンズがずれて沁みた
いつも帰り道だった
ほこりをかぶったスノードームの中にだけ
この冬らしい雪を降らせて
今夜は眠ろう
著者 吉川彩子
発行所 七月堂
発行日 2024年8月20日
A5判 96ページ
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