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源川まり子詩集
走れ走れ、張られた薄紙が浮いてきてしまうほど/風をたてる。走れ走れ、
【作品紹介】
なめらかな都市のエコー
トラックナンバー不明、暗い部屋、まわるレコードに印さ
れた都市の名前、円盤に扇型の影がかたどられて エコー
検査みたい、とぼんやりしたコントラストをみつめる
寝そべった視点、風景、黄ばんだ枠に囲まれた旧式のモニターは湾曲していて、身体だと思って
いたのも同じような光のつぶつぶだったのだ、と水を嚥下する プラスチックの接地面と身体と
の間にさしこまれるつめたく澄んだゼリー、お腹に赤ちゃんのいるひともあの機械を使うのだと
知ったのは、病院に通わなくなって随分経ってからのことだった モノクロームの絵本、軌跡を
描くストレッチャーはましかくの枕をたたえながら走る
子どもの頃、やわらかくふくらむ腹を見るたび
そこに生命が宿っていることを密かに祈った
どうやって信じればいいのだろう、画素として広がる腹腔のなかの海
あるいはそこに他者が宿りうることを?
都市は移動する、フィールドレコーディングされた町の音
声は砂埃をあげて、今はなき町の無形の跡を落ちていく針、
記録された音の内部にいる人々は永遠に無名 画面に映っ
た靄の正体はずっとわからないままで 砂粒みたいな濃淡
が示していたのは異常のしるしだったのか あるいは日常
にあらわれた砂丘のような遊び場を保っていたのか うつ
くしい遊び場を われわれは想い続けることができるのだ
ろうか? 引き受けた愚かさが轟音をあげる
あの日、目で追いきれなかった都市の名はサイゴンだったと
あとで友人が教えてくれた
人々は町をさまよい歩く
簡単ではないやさしさ
想い続けることをやめないで
波、あるいは絶え間なく押し寄せる声
ダイナー
人間という音はインゲンと似ていて
わたしはかつて おいしいインゲンを食べたことを想起し
甘さ、あるいは少し土っぽいにおい
くぐもった青臭さに焦がれていたのだが
どこで出会ったのか もう思い出すことができなかった
咀嚼を続ける頬には 三角形をかたどったホクロがあり
黒目だけを動かして点と点をなぞる
外ではサイレンがけたたましく鳴っていて
誰かに逃げろと合図する轟音が部屋に響くとき
われわれの暮らしは反射光として継続される
やわらかな彫刻 となりに、横たわっています
つかまり立ちをする赤子のようなおぼつかなさで
顔の稜線を震えながらなぞる
眼窩の凹みがぴくりと振動するたびに
素肌の内部にある星座は居心地悪そうに伸縮し
座標を正確になぞることができない、だから
ひとつの整った食卓を眺めては
皿のはざま クロスにこぼれた食べかすを
指の腹に押し付けて 拾いあつめておいたのだった
傘をさして歩く 道ゆくひとびとが足を止める橋
もしくは 流れがぐんぐん速まる川
ふかい洪水に抱きすくめられ、わたしは竜になる
今日も机を挟んで座る そうやって対峙しつづける限り
ごはんはきっとうまい はずで
背中にすり寄せられた頬の重量が
肩甲骨の隙間を埋めていく
きれいな水面の上澄みだけをあなたにあげる
スープを飲んで黙ってうなずく
著者 源川まり子
発行所 七月堂
発行日 2024年1月10日
四六判 96ページ
【関連】
インカレポエトリ / インカレポエトリ叢書:https://shichigatsud.buyshop.jp/categories/2851576
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